azioriのブログ

ある事から自分を変える事を決意。そのリアルな過程を晒して行きます! ご覧あれ。

生き物はいつか死ぬということ。

皆さんおはこんばんにちは!


いおりです。


暑くなってきたー。

実は僕、夏がめっちゃ苦手なんですよ。


もう溶けて動けなくなります。


あと、小さい頃からめちゃくちゃ汗かきでそれが嫌なんですよね。

もちろん運動してる時は気にならないんですけど!


今日も暑い!!





…さて、今日は正直ブログを書くのは止めておこうと思ってたんですけど、何事も続けないと意味無いですからね。




誰も興味ないだろーけど、つらつら昔話でも書いていこうかなぁ。



何がええやろ。





んーーーー。



よし。
昨日ふと考えてた、僕の周囲の人が亡くなった時の話でも書いていこうかな。


人が亡くなった時の影響とか。



昨日思い出すまで完璧に忘れてたこともあるし、
ここに書いたらもう忘れないでしょ!


って事で。




ちょっと暗い話も出てきてしまうんで、
あまりそういう話が嫌な人は、これ以上は見ないで下さいね!




皆さんは家族とか周囲の人が亡くなった経験はありますか?


もう20代の方なら1回くらいはあるかと思います。




まず僕の場合、
初めて経験したのは人じゃないんですけど小学生の時に飼ってた犬です。



ミニチュアダックスフンドで可愛い犬でした。


モモって名付けてましたね。


いつから飼い始めてたかは覚えていなくて、
まだ小学生の僕はペットという認識はあったんですけど、自分のオモチャのような感覚もあったのかもしれません。



というのも、
よく抱っこして振り回したりとかして遊んでた記憶があるんです。



それで親にも度々怒られてましたw



そのモモは玄関が開いていると、外に飛び出す癖がありました。


あまり遠くに行くことは無かったんで、毎回すぐに連れ戻してたんですけど。



…あ。


書きながら思い出しました。

僕の実家は玄関が引戸なんですけど、
その玄関がよく開いていたのは、僕が玄関を閉める時に強く閉めて、その反動で扉が少し開いてしまってたんです。



そしてその日も、
モモは開いた玄関から飛び出して、車に轢かれてしまったんですね。


辛うじて生きていたんですけど、
病院に連れて行くまでに亡くなってしまいました。



それが初めての身近な『 死 』でしたね。


このモモにはずっとなんだか罪悪感があって、その理由が分からなかったんですけど、

そうか。
自分のせいで扉が開いていたから…って罪悪感だったのか。



ごめんなモモ。


でも、このモモの死には多くを学んだ気がします。

生き物を育てる大変さ。

飼う覚悟。


本当に我が家へ来てくれた事に今でも感謝しています。





そして、
その次に訪れた身近な『 死 』は、
当時一緒に暮らしていたおばあちゃんでした。



この亡くなったおばあちゃんってのは僕の父方のおばあちゃんの話なんですけど、
亡くなったのは僕が小学2年生の頃です。


父方のおじいちゃんは僕の父が学生の頃亡くなったらしく、僕は会ったことがありません。


当時は、
父、母、おばあちゃん、僕、妹

この5人家族でした。


これはうっすらとした記憶なんですけど、
おばあちゃんは結構普通に元気な人で、たまに父と親子喧嘩?をしていた記憶があります。


でも亡くなる1ヶ月前かな?

急に体調が悪くなった時がありました。


でもすぐに体力は回復したんですけど、
そこから少し時間が経ったある日の事。


これ不思議な体験でした。


僕はよく両親よりもおばあちゃんの部屋で寝る事が多かったんですね。

妹は両親と寝ていました。


おばあちゃんと寝るとなんだか安心するあの懐かしい感覚…

わかります?笑



まぁその日もおばあちゃんの横で寝ようと布団に入っていたんですね。

その頃、おばあちゃんはまた体調が少し悪化していて、寝転ぶと身体が痛いようでした。

そのため、コタツで座っていたんですね。


ふと布団から顔を出しておばあちゃんの背中を見た時、頭の中で


「あぁ、今日死ぬんだな。」



って小学2年生では考えられない言葉が浮かんだんです。


同時に凄いそれが怖くなって、
やっぱり両親と寝ることにしました。



両親の横で寝転ぶとすぐに寝てしまったんですけど、布団に入るとき、物凄く胸のあたりが、なんていうんだろ。
変な感じ?不思議な感じがしてました。

後から考えると虫の知らせってやつだったんだと思います。




そして、騒がしい音がして夜中に目を覚ましました。


2階に両親の部屋があって、1階におばあちゃんの部屋があったんですけど、目を覚ますと2階には誰もいなくて急いで1階へ行きました。


そしたらちょうどおばあちゃんが救急隊員さんにタンカで運ばれている瞬間でした。

少し苦しそうな表情で父の名前を呼んでいたのを今でも覚えています。


そしてそれが最後に見たおばあちゃんの姿でした。



死因とかは全く覚えていないんですが、初めて直面した家族の死でとてつもなく悲しんだ記憶があります。




家族が亡くなった人は分かると思いますが、
亡くなってから少しの間は、その家族がまだ存在しているような不思議な感覚があるんですよね。

でも現実にはいないので、
本当に文字通り心に穴が開いたような気がします。

辛かったなー。


でもここでやっと、人はいつか死ぬと言うことを身を持って知りました。



強かった父が少し泣いているところが、今でも強く記憶に残っています。






そして、
そんな事があってから約9年ほど経ち、僕が17歳のとき、父が亡くなりました。




17歳の頃なので、1度ブログに書きましたが、全日制の高校から通信制の高校に転校してすぐだったと思います。




その頃僕は少し荒れていて、
仕事もほとんどせず、父親が大工だったのでたまに1週間とかまとめて手伝いに行って給料を貰うような感じでした。


それ以外はほぼ家にいない状態で、
毎日毎日いろんなところを遊び歩いていました。


父親は放任主義だったので、高校生くらいから仕事以外では怒られた記憶がありません。


父はもともと飲みに行くのが大好きで、1度飲みに行くと大抵は朝帰りといった感じでしたが、
この頃は結構ずっと帰りは夜中という感じだった気がします。

そんな感じなので、この頃母と父はあまり仲が良くなくて、妹も人間関係が上手くいかず、悩んでいるようでした。
それを避けるように僕は毎日どこかへ行っていたので、家族の関係はその頃が1番良くない雰囲気でした。


もちろんお金持ちの家でもないので、
子供には分からない金銭面の問題もあったのだと思います。



そんなある日でした。


その日も朝方まで友人と遊び、友人宅で寝ていると、あわてた友人に強く起こされました。

「今電話があって、親父さんが倒れたらしいぞ!」と。


それを聞いて飛び起きました。
すぐに原付で実家に戻ると、父はその頃いつもリビングで寝ていたんですが、リビングがめちゃくちゃに荒れていてびっくりしました。


ただ事では無いなと思っていると、
母から「〇〇病院にいるからすぐに来て。」
と、メールが入っていたのですぐに向かいました。



向かっている途中、頭の中では

「仕事とかどーすんねん!」

「大丈夫なんか?」

「もし数ヶ月とか仕事出来んかったら俺が働いて稼ぐしかないよな…」

「でも意外とケロッとしてそう」

など、様々な思考が浮かんでいました。



でも

病院に到着した時、父の1番の友人が病院前で立っていて僕を待っていました。

その表情を見て
「あれ? これヤバそうやな。」
そう思ったとき、


その父の友人から
「お前がこれから頑張るしかないんやぞ」
「お母さんと妹大事にしろよ」


そう言われて、
信じたくなかったんですが、今どんな状態なのかハッキリしました。




病院の中急いで病室の前まで行くと、
病室の前で母と妹が泣いてました。


母は僕に「お父さん死んでもた…」と言っていて呆然としましたね。



あんなに強かった父が冷たくなっていて、
何も考える事が出来ず、本当に辛かったです。




そこからはあっという間に物事が進み、

1〜2ヶ月は毎日悲しくて寂し気持ちになってました。




父が亡くなったのはとても悲しかったですが、
唯一救われたのは、父は寝ている時に亡くなって、その状況から即死だったとの事です。
つまり、痛みとかは恐らく感じなかった。

そうお医者さんに言われて、ほっとしました。


父は病院嫌いで、よく死ぬなら一瞬で死にたいと言っていたのと、僕も父の弱っていく姿を見たくなかったので、その点だけは唯一よかったと思っています。




父の死では本当に多くの事を学びました。

そして、このままではダメだと。


また、毎日毎日遊んでいたのを見直し、
父が最後に建てた家のお客さんが、ある会社を経営してたので、そこで拾ってもらって2年ほど働かせて頂きました。




今でもたまに父の事を思い出しますが、
一緒に酒でも飲みたかったなぁ。
なんて思います。





僕が経験した身近な『 死 』はこんなとこです。



なんで急にこんな事ブログにしたかと言うと。


実は今、僕の母が癌で苦しんでいます。



去年発覚し、一時期良くなったのですが、
今年に入ってまた悪くなってしまったんです。


そして昨日、僕は地元から離れているのとコロナの影響で行けなかったんですが、妹と母方のじいちゃん、ばあちゃんが病院に呼ばれて、余命宣告をされました。



8月との事でした。



正直、人生で1番ショックを受けています。



信じられます?
自分の唯一の母親がもうすぐいなくなるかもしれないなんて。


正直、おかしいと思われるかもしれないけど、
無理して、痛い思いをしてまで長く生きてほしいとは思っていません。

出来る限り苦痛なく、安心してほしいんです。

母も絶対そう思っています。





でも、

僕はまだ親孝行とか全然出来てないんです。



妹は子供がいますが、僕はまだ相手すらいないので、孫も見せてやれてません。



旅行にも連れて行ってやれてないし、

家も建て替えてあげれてない。



22で地元を離れて、心配ばかりかけてます。


なんとなく、30歳くらいには結婚してお金も稼ぎ始めて、そこから死ぬ程親孝行してやろうと考えてました。



うまくはいきませんね。


甘かった。


それどころか未だに心配かけてばっかり。



本当に情けなくて情けなくて、
自分を殴れるならぶん殴ってやりたい気分。




でも1日考えて思いました。

当たり前ですけど、悔やんでもやり直しなんて出来ません。



しかも事故や災害や急な病気で亡くなる人と比べたらまだ時間はある。

それだけまだ幸せか、と。



だから仕事は休みをもらい、出来る限り一緒にいてあげようと思います。

もし同じような経験をした方がいれば、
どうすれば少しでも母の為になるかアドバイスとかほしいです。



ぜひ教えて下さい。






…気付いたら凄い長く書いてましたね。
暗い話でごめんなさい。笑



でもこうやって吐き出すと少しは気が晴れます。



見て頂いてありがとうございます!


これからさらに大変だろうけど、
ちょくちょく近況をブログに書いていきます!


よかったら見てください。



よろしくお願い致します!













さて、日課の近況報告です。


【食事】

朝〜昼


親子丼

からあげクン




塩おにぎり

鮭おにぎり





カロリー合計

約1350キロカロリー





こんな時でも食欲あるから驚きやわ。笑





【運動】



スクワット 30回



さすがにトレーニングは出来んかったー




【体重】



83,4g



早く軽くしたいなー。